■ 次元上昇とは「上に行くこと」ではなかった
「次元上昇」という言葉を聞くと、
どこか別の世界へ移動することのように思われがちです。
意識が高くなるとか、
波動が上がるとか、
人間が変わっていくことのように語られることも多い。
けれど、あるときふと気づいたのです。
――本当に変わっているのは、こちら側ではないのではないか。
むしろ、世界のほうが静かに変わっているのではないか、と。
私たちが生きているこの宇宙には、
「有る」ものの世界があります。
目に見えるもの、触れられるもの、
人や出来事、時間の流れ。
でもその前に、「無」の層がある。
まだ何も形になっていない、沈黙のような状態です。
そしてさらにその前に、
もうひとつの層があるように感じられるのです。
それは「光」としか呼びようのないもの。
物理的な光ではありません。
輝いて見える何かでもない。
世界になる前の、
意味を持たない可能性のようなものです。
宇宙は、
無から突然生まれたのではなく、
光がいったん静まり、
その静けさの中から、
ゆっくりと「有る」という状態が現れてきた。
そんなふうに感じられるのです。
この視点に立つと、
次元上昇という言葉の意味も少し変わってきます。
人が上へ行くのではなく、
光の質が澄んでいく。
世界の土台が、わずかに整う。
すると、こちらが何かを頑張らなくても、
生きやすさが自然に増していきます。
偶然がやさしく重なったり、
無理に進まなくても道が通ったり、
理由は分からないのに安心感が深まったり。
まるで、
宇宙の側が少しだけこちらに協力的になったような感覚です。
昔の人が「神さまが働いている」と表現したのは、
きっとこういう状態のことだったのかもしれません。
だから、無理に変わろうとしなくてもいい。
成長しなければ、と焦らなくてもいい。
むしろ大切なのは、
余計な意味づけを少し手放して、
静かに日常を過ごすこと。
静かな状態に近づくほど、
世界の深い層とのズレが減っていく。
その結果として、
あとから「次元が上がった」と呼ばれる変化が現れる。
順番はいつも逆なのです。
上に行こうとするより、
深くなること。
何かを足すより、
少し引いてみること。
宇宙は案外、
そういう静かな方向に開いているのかもしれません。

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