【絵馬奉納記】
スピリチュアル能力・第一層を、天に還す
本日、熱田神宮にて絵馬を奉納しました。
それは、ただの「願いごと」ではありません。
私にとっては一つの儀式であり、
これまでの「スピリチュアル能力という生き方」を、
ひとまず“第一層”として天に還すための、魂の通過儀礼でした。
◆ 第一層とは、私にとって何だったのか?
スピリチュアルな力を意識しはじめた頃、
私は「力を持つこと」で世界とつながろうとしていました。
・ヒーリング
・チャネリング
・エネルギーワーク
・過去生リーディング
・場の調整や祓い
これらの力は確かに現実を動かしました。
そして同時に、サバイバルにも必要でした。
傷を癒し、人を助け、使命を語り、
時にビジネスとしての土台ともなりました。
けれどその裏には、
「能力がなければ私は役に立たないのではないか」という不安や、
「この力で認められたい、尊敬されたい」という渇望も、
静かに横たわっていたのです。
◆ 能力を「奉納する」という意味
奉納とは、捨てることではありません。
能力を否定するのでもなく、使うことを拒否するのでもありません。
むしろ逆です。
私は今日、はっきりと天にこう伝えました。
「これまで、たくさんの力を使わせていただきました。
ときに上手に、ときに未熟に。
でもこれからは、“力で生きる”のではなく、
“生きることで力が発動するような自分”でいたいのです。」
能力を奉納するというのは、
それを**“所有物”から“宇宙の道具”へ戻す**ということ。
そして私は、所有者から器へと立場を変えるのです。
◆ 第二層へ:「在り方」で生きるスピリチュアル
これからは、“力”の話ではなく、“振動”の話になります。
能力を使わなくても、共鳴で道が開く 何かを伝えなくても、在るだけで気づきが起きる 啓示やビジョンに頼らず、日常の微細な違和感がメッセージになる
そういった、スピリチュアルの第二層へと、私は今日、歩みを進めました。
私が天に返したのは、役割としてのスピリチュアル能力です。
でもこれから現れてくるのは、命の本質としての光です。
それはきっと、「語れないけれど、確かにあるもの」です。
◆ 絵馬に込めたもの
神に願いを託すというよりも、
「私はこの層を生き終えました」と、
天に報告するような気持ちでした。
第一層のスピリチュアル能力――
それは、必要だった。
とても重要だった。
でも、もう私はそこに執着せずに生きていくと、誓いました。
◆ 最後に
これからの私は、
“何ができるか”ではなく、
“どんなふうに存在しているか”で人とつながっていきます。
能力を使う人から、
在ることで響かせる人へ。
そして、力で生きる時代を終え、
光の余白を生きる私として、再び歩き始めます。
