最近、夜になると自然とキッチンに立つ時間が増えた。
お酒の量は正直なところ、まだ減っていない。
だけど——
その手前に「自炊する」という小さな行為が加わるだけで、
一日の印象がまるで違って見える。
机の上には、ノートパソコンと自作のお弁当。
海苔の下には刻んだきゅうり、
そして炒めた豚肉や野菜、卵がぎゅっと詰まっている。
ただの“食べるための弁当”ではない。
自分でつくったというだけで、
どこか誇らしさが生まれる。
火を使うと、
自分が“生きている”という感覚が
ゆっくりと戻ってくる。
肉の焼ける音、
ふわっと立つ湯気、
味噌とだしの混じった香り、
包丁のリズム。
そのすべてが、
散らばった心をひとつの場所に集めてくれる。
◆
ある日は、
土鍋いっぱいのうどんをゆっくり煮込んだ。
にら、豆腐、だしの香りがふわっと立ち上がる。
ひとりの夜でも、
じっくり煮える音があれば寂しさはやわらぐ。
また別の日、
冷蔵庫に残ったきのこや豚肉を全部入れて鍋にした。
何を入れても、火にかければひとつの味にまとまる。
その温かさが、
自分自身もまた“まとまっていく”感じと重なる。
◆
正直、お酒はまだ飲んでいる。
缶を見ると「今日もよく頑張ったな」と
どこかで自分に言い訳してしまう。
でも、
自炊をしたあとのお酒は
以前のような“逃げの一杯”ではなく、
少し前向きな“ひとりの宴”へと変わってきた。
「今日もちゃんと自分を扱えたな」
そう思えるだけで、
飲む時間の意味が変わる。
◆
自炊は大げさなものじゃなくていい。
きゅうりを切るだけでも、
鍋に具材を入れて煮るだけでもいい。
“できた”という小さな積み重ねが、
自分の生活を少しずつ静かに整えていく。
お酒と完全に距離が取れなくてもいい。
自炊がひとつあるだけで、
夜が少し優しくなる。
今日もまた、
ひとりの部屋で
鍋の湯気を眺めながら
「よし、これでいい」
と心の中でつぶやいた。
自炊は、
未来を変えるほど大きな一歩ではないかもしれない。
でも、
“明日へ続く灯り”にはなる。
その灯りがあれば、
まだ大丈夫だ。
────────────────────

コメント