MENU

自炊の風景が、私をつないでくれる

最近、夜になると自然とキッチンに立つ時間が増えた。
お酒の量は正直なところ、まだ減っていない。
だけど——
その手前に「自炊する」という小さな行為が加わるだけで、
一日の印象がまるで違って見える。

机の上には、ノートパソコンと自作のお弁当。
海苔の下には刻んだきゅうり、
そして炒めた豚肉や野菜、卵がぎゅっと詰まっている。
ただの“食べるための弁当”ではない。
自分でつくったというだけで、
どこか誇らしさが生まれる。

火を使うと、
自分が“生きている”という感覚が
ゆっくりと戻ってくる。

肉の焼ける音、
ふわっと立つ湯気、
味噌とだしの混じった香り、
包丁のリズム。

そのすべてが、
散らばった心をひとつの場所に集めてくれる。

ある日は、
土鍋いっぱいのうどんをゆっくり煮込んだ。
にら、豆腐、だしの香りがふわっと立ち上がる。
ひとりの夜でも、
じっくり煮える音があれば寂しさはやわらぐ。

また別の日、
冷蔵庫に残ったきのこや豚肉を全部入れて鍋にした。
何を入れても、火にかければひとつの味にまとまる。
その温かさが、
自分自身もまた“まとまっていく”感じと重なる。

正直、お酒はまだ飲んでいる。
缶を見ると「今日もよく頑張ったな」と
どこかで自分に言い訳してしまう。

でも、
自炊をしたあとのお酒は
以前のような“逃げの一杯”ではなく、
少し前向きな“ひとりの宴”へと変わってきた。

「今日もちゃんと自分を扱えたな」
そう思えるだけで、
飲む時間の意味が変わる。

自炊は大げさなものじゃなくていい。
きゅうりを切るだけでも、
鍋に具材を入れて煮るだけでもいい。

“できた”という小さな積み重ねが、
自分の生活を少しずつ静かに整えていく。

お酒と完全に距離が取れなくてもいい。
自炊がひとつあるだけで、
夜が少し優しくなる。

今日もまた、
ひとりの部屋で
鍋の湯気を眺めながら
「よし、これでいい」
と心の中でつぶやいた。

自炊は、
未来を変えるほど大きな一歩ではないかもしれない。

でも、
“明日へ続く灯り”にはなる。

その灯りがあれば、
まだ大丈夫だ。

────────────────────

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次